はじめに
国際的な政策議論は概念の越境流通に依存しています。「レジリエンス」「グリーン転換」「サプライチェーン安全」といった語は言語間を行き来しますが、中立に見えて、それぞれ特定の文脈の制度的想定と価値の順序を帯びています。概念が新しい文脈に入ると、意味がずれ、選択的に流用され、翻訳で重要な限定が失われることがあります。翻訳は言語の問題にとどまらず、知識の政治の問題です。
概念移動の三つのゆがみ
- 文脈の剥離:概念は特定の制度と歴史の文脈で育ったもので、越境使用の際にその制度的前提が無視されがちです。
- 選択的翻訳:複数の意味が翻訳で単純化され、使用者のアジェンダに最も合う層だけが残ります。
- 逆方向の形成:外来概念が唯一の正当な表現になると、在地の経験が外来の枠組みに押し込まれ、見えていたはずの問題が声を失います。
多言語研究機関の対応
中国語と英語を主な作業言語とする研究機関にとって、翻訳政治は日常的な課題です。責任ある実践には少なくとも次が含まれます。重要概念は初出時に定義と出典を示すこと。直訳できない概念は原語を残して差異を説明すること。そして「概念対照」の作業を積極的に築くこと——同じ政策課題が異なる言語伝統でどう表現されるかを比較し、議論が特定言語を基準として前提しないようにすることです。
研究方法としての翻訳
さらに、翻訳は普及の道具ではなく研究方法にもなり得ます。異なる言語の研究者が同じ概念群に向き合い、文脈ごとの理解と使用を比較することは、単一言語の研究が当然視している前提を露出させます。当研究所が多言語での作業を重視し、翻訳を「付随作業」と見なさないのはこのためです。翻訳は研究の質の一部です。
おわりに
知識の国際的な流動は避けられませんが、その流れ方は選べます。概念を翻訳のなかで検証に晒し、複数の言語が定義に参加できるようにすることが、知識生産が境界を越えるより責任ある方法です。
出典と版:本稿は編集部の意見記事です。版 v1.0(2026-09)。